超作

私が実際に行をしてそして皆さんに説いてきた超作(ちょうさく)というものは、或る行為をする場合、結果を求めない行為というのは勿論無い。
だから結果を求めて行為をするけれども、行為をする時に、その結果がどうであるかということを忘れてしまう程に行為そのものになりきるということです。
いつも何かを気にしながら行為をするのではなくて、行為そのものになりきると、その時には自然に、行為の結果を求めて行為している自分というのは消えてなくなる。
これが一つ。
もう一つは行為をする前に、自分がこの行為をすることによって少しでも他の人が助かるように、あるいは他の人の役に立つようにと念じるということです。
たとえば自分がテレビやコンピュータを作る仕事をしているとしましょうか。
その時、自分がこれを作ることによって、いろいろな人が情報を早く正確に交換することができ、そのために、たとえば急難からも救われることができるだろう。
そういうふうに、自分がいましていることが必ず人の役に立ちますようにと念じるのです。
そして、もしそのテレビなりコンピュータなりを作ることがうまくいかなかった場合には、作り方がまずいのか、あるいは製作の過程に落ち度があったのか、あるいは回路を作るのに失敗があったのか、その失敗の原因をよく調べて、その原因を改良してより完全なものを作るように行為をする、ということなのです。

                       -----本山博著「愛と超作」-----

 

 

仕事やプライベートにおいて何かをする時、勝手な見返りを求めてその行為をしてしまいます

そして、望んだ見返りを得ることができないとき、腹立たしい気持ちが湧いて来たりします

このように文字にしたら、なんと身勝手なことを普段から考えているのかと感じる程ですが、ここに、自分の行為の結果が少しでも誰かの役に立ちますようにと念じることを心掛けることで、少しは超作ができるようになれるのだと感じることが出来ました

                                              オーチマン