学ぶこと

ペルシャのおかしな賢人ナスルディーンの物語がある。

『彼は、渡し舟の舳先(へさき)に座っていたが、そこにはもったいぶった学者がいた。
その学者は自分の博識にうぬぼれ、ナスルディーンの教養に疑問を投げかけ、批判してきた。
天文学を学んだことはあるかね」と学者は尋ねた。
「あるとはいえませんが」とナスルディーンは答える。
「ならばお前は人生のほとんどを無駄にした。星の配置を知ることにより、腕の良い船乗りなら全地球を航海することができるのに」
二、三分してその博識の人物が聞いた。
「気象学を学んだことがあるか」
「いいえ、ありません」
「ならば、まあ、お前は人生のほとんどを無駄にしたな」と学者は非難する。
「風は論理的方法でとらえると、帆船を驚くべき速さで走らせることができるのに」
またしばらくしてこの男は尋ねた。
海洋学を学んだことはあるか」
「いや、まったく」
「ああ、なんと時間を無駄にしているんだ。
太古の人々は、潮の流れを知り、食糧や避難所を得たのに」
二、三分すると、ナスルディーンは船尾へと移り始めた。
移動しながら彼は何気なさそうにその男に聞いた。
「水泳を習ったことはありますか」
「そんな時間はなかったよ」と学者は偉そうに答えた。
「ならば、あなたは人生の全てを棒に振りましたよ。船は沈み始めています」』

遅かれ早かれ、真実を生きることの方が探し求めることよりも大切になるときがやって来る。
知識、技術、経験も、心の豊かさの前には色を失うのだ。
学ぶことは生きることに取って代わられなくてはいけない。

           -----アラン・コーエン「人生の答えはいつも私の中にある」-----

 

 

何のために学ぶのか?

考えさせられます

学んだことが、より良い人生を歩むための力になれば良いのですが、知識を詰め込んだり、技術を身に付けたりすることそのものを目的と勘違いし、いったい何のために学んでいるのかと、はっと気づく時があります

学んだことを仕事の現場で活かすことが大切だと思いました

                                             オーチマン