完全なる真心

人は童子たる時、全然たる本心なり。
稍(やや)長ずるに及びて、私心稍生ず。
既に成立すれば、則ち更に世習(せしゅう)を夾帯(きょうたい)して、而(しこう)して本心殆ど亡ぶ。
故に此の学を為す者は、当に能(よ)く斬然(ざんぜん)として此の世習を袪(さ)り以(もっ)て本心に復すべし。
(こ)れを要と為す。

訳) 人間は、幼い子どものころは、完全なる真心を持っている。
やや成長してくると、私心が少しずつ出てくる。
一人前になると、その上にさらに世俗の習慣が身について、真心をほとんど失ってしまう。
だから、聖人になるための学問をする者は、いつもこの世俗の習慣を振り払って、その真心に戻る工夫をするべきである。肝心なことである。

          -----佐藤一斎著 峰龍一郎編約訳「言志四録」-----

 

  

 

今ないものを得ようとするのではなく、全ての人間が既に持っている真心を思い出す工夫をすることが大切だと言っているようです

その為には、日々自らの言動を省みる習慣が必要だと思いました

オーチマン