二宮尊徳(金次郎)ゆかりの地探訪

11月22日土曜日に私(大智)は「二宮尊徳一日一言」の編者である寺田一清先生と盛和塾北大阪の欠野代表を始め陽光読書会のメンバー12名と共に神奈川県小田原市二宮尊徳ゆかりの地を訪ねた。始めに1741年頃に建てられた尊徳の生家を訪れた。尊徳は16歳までこの家で暮らしましたが、一家離散の時にこの家も売られてしまいました。隣には尊徳記念館がありビデオと資料によって説明して頂きました。 あの柴を背負って本を読みながら歩く銅像のイメージから広く「道徳の人」として知られている尊徳ですが、農耕は子供の頃しかしておらず、大人になってからは自分の土地は小作に出し、信用組合のルーツともいえる「五常講」のしくみを作ったり、治水事業を手がけたり、当時ばらばらの大きさだった年貢用の計量枡の大きさを統一したりと「経済の人」「優秀な行政マン」という功績が大きかったようです。実際の尊徳は身長が180cm以上あり当時としてはかなりの巨漢でいかつい顔をされていました。性格もがんこだったようです。 写真1

続いて、尊徳が観音経を聞いて感銘を受けたという飯泉観音(勝福寺)に行きました。寺田先生とご一緒なので行くたびに解説を頂き参考になりました。

写真2

以下、尊徳記念館で頂いた資料をもとに尊徳の教えをご紹介します。

【報徳】 一般的に徳とは品格や人格の道徳的な意味で用いますが、尊徳はその人が持っている特長・美点・能力なども徳と考えました。私たちは徳を受けて生きています。報いるとはありがたいと思うこと、大事にすることです。自分の徳を社会や人ために役に立てることが、「徳をもって徳に報いる」ということになります。

【道徳経済一元論】 尊徳は道徳と経済が調和し融合した社会の実現を目指し、そして実現しました。「道徳の伴わない経済は犯罪に結びつき、経済の裏付けのない道徳は寝言に等しい」という意味のことを言っています。

【一円観・一円融合】  相反する異なったものが一つの円の中に溶け合って、一体となることを一円融合といいます。世の中は善悪・強弱・美醜・苦楽・男女・老若・・・・・など対立や対比することで成り立っています。尊徳はこれを一つの円の中に入れ、一方があって他方も存在するという考え方を根本としました。  価値観を学んでいる竹内日祥上人の思想にも通じると思いました。

【勤労・分度・推譲】 勤労とは働くことですが、お金を得るためだけに働くことは本当の勤労ではありません。勤労は自分にできる仕事で社会に貢献することです。自分の徳を生かして働くことが大切です。また、そのように 働くことが智恵をみがき自己を向上させることになります。 収入・能力・資源などには限度があります。それを天分といいますが、天分に応じて立てた一定の限度・基準を分度といいます。「入るを計って出ずるを制す」ことによって必ず、余裕、ゆとりができます。  推譲は、分度によって生れた余力、お金を自分や家族の将来、社会のために譲ることです。

【積小為大】 小さなことも見逃さず、こつこつと積み重ねていくことにより、大きな収穫を得、大きな仕事、目的を達成することができます。大きなことを成し遂げるには、まず、小さいことから怠らずに行うことが大切です。小事をおろそかにする者に、大事が果たせるわけがないのです。

【心田開発と新田開発】 新しい田んぼの開発をするように、物事の改革には、まず、一人一人の心の育成を何よりも大切にしなければなりません。事業・仕事を進めるにはまず、人の心構えを改めていかなければなりません。

このように尊徳の教えは現代に通じるものがあります。「二宮金次郎17の提言」という本を寺田先生にご紹介いただきましたが、社内の勉強会で活用しても良いテキストになると思いました。また、尊徳は人の生き方考え方について多くの教訓的な歌を残しています。それらは道の歌といわれ、略して道歌(どうか)と称されました。いくつかご紹介します。

   「 音もなく香もなく常に天地は   かかざる経をくりかえしつつ 」   

   「 米まけば米の草はえ米の花   さきつつ米のみのる世の中 」

   「 この秋は雨か嵐かしらねども   今日のつとめの田草とるなり 」

   「 日々に積もる心のちりあくた   洗いながして我を助けよ 」

   「 父母もその父母も我身なり   われを愛せよわれを敬せよ 」