もうひとがんばり

自分の好きなスポーツ選手を思い浮かべてください。
そして、その選手が、ギブアップしたいギリギリのところで、もうひとふんばり頑張っている姿を、想像してみてください。
あなたが好きなその選手は、きっと、「もうやめたい、もう嫌だ、もうギブアップして楽になりたい」という時に、それでも最後の力を振り絞って戦う人であるはずです。
だからこそ、あなたはその人に、あこがれるのではありませんか。
野球選手であれば、「このままボールを取りに行っても、とても届かないだろうな」とわかっていながら、それでも必死に走って手を伸ばし、見事にキャッチしてしまうからこそ、その選手にあこがれるのです。
サッカー選手であれば、九十分戦い抜いて延長戦に入り、もう疲れ果てて足が止まり、筋肉が痙攣しているのに、それでも必死の形相で立ち上がって走ろうとする姿に、引きつけられるのです。
プロレスラーならば、相手の必殺技を食らって脳震盪(のうしんとう)を起こし、レフェリーの手がワン、ツーとマットを二回叩くのがわかって、「ああ、あともう一回、このまま両肩をマットに付けたままでカウントを聞けば、試合が終わって楽になるのに」と知っていながら、それでも最後の力を振り絞って肩をあげようとする、その精神力が感動を呼ぶのです。
あなたは、自分が尊敬するその選手に、少しでも近づきたいとは思いませんか。
もしも、それらの選手に近づきたいと思うならば、方法は簡単です。
今、目の前に直面している、勉強や仕事や家事や病気や人間関係などの試練に、まるでスポーツ選手のように立ち向かっていけば良いのです。
       -----飯田史彦著「人生の価値」-----

 


精一杯努力しているのに、「もうひとがんばり」と言われると、うんざりしてしまいそうです

しかし、自分の姿をよく見つめると、実はそうではなく、目の前の試練と感じることから目をそらしたり、先伸ばしにしていることがたくさんあったりします

「自分が試練に直面した時に取る思考や行動のパターン」は状況によって変わらないことから、今の自分の姿がそのまま10年後、20年後の自分の姿だと言われています

自分の10年後、20年後の姿を想像して幻滅しなくてすむように、「もうひとがんばり」したいと思いました

                                    オーチマン