いのちの移し替えの瞬間

私たち人間は地球上のいろいろな「いのち」を食べて生きている。
食べるもの、すべてが生き物である。「いのち」が「いのち」を食べている。
食材を、ただ「もの」だと思うのと「いのち」として捉えるのでは、調理の仕方が変わってくるんです。
ものだと思えば、ただ煮ればいい、焼けばいいって感じですが、いのちだと思えば、これはどうすれば生かせるだろうか、ということになるんです。
調理の間はいつも意識を集中させていないと、食材のいのちと心を通わせることができないですね。
例えば野菜を茹でている時、火のそばを離れずじっと見ていると、野菜が大地に生きていた時より鮮やかな緑に輝く瞬間があります。
その時、茎を見ると透き通っています。その状態をとどめるために、すぐに火を止めて水で冷します。透明になった時に火を止めるとおいしくて、体の隅々まで血が通うお料理ができるんです。素材の味が残っているだけでなく、味が染み込みやすい時でもあるんですね。
野菜がなぜ透き通るかといえば、野菜のいのちが私たちのいのちと1つになるために、生まれ変わる瞬間だからです。
ですから私はそれを「いのちの移し替えの瞬間」と呼んでいます。
蚕(かいこ)がさなぎに変わる時も、最後の段階で一瞬、透明になるといいます。焼き物も同じで、今まで土だったものが焼き物として生まれ変わる瞬間に、窯の中で透き通り、全く見えなくなるそうです。
いのちが生まれ変わったり、いのちといのちが1つになる瞬間に、すべてが透き通るのかもしれませんね。
透き通るということは、人生においても大切だと思いますね。
心を透き通らせて脱皮し、また透き通らせて脱皮するというふうに成長し続けることが、生きている間の課題ではないでしょうか。

          -----佐藤初女さん「森のイスキア」主宰-----

 

 

食材をモノではなく命として捉え、その命を生かすためにはどうすれば良いかを考える

その結果、透き通る瞬間に気づくことが出来る

人生においても、出会いを大切にし、謙虚さや感謝の気持ちを持ち続けるよう心掛けていれば、透明になる瞬間に気づくような気がしました

                                                                                          オーチマン